高級シャンパンの代名詞、ドン・ペリニヨンの真実

シャンパンとは、フランスのシャンパーニュ地方で生産されるスパークリング・ワインのこと。

スパークリング・ワインは、17世紀にベネティクト会の修道士、ドン・ピエール・ペリニョンによってオーヴィレール修道院で作られたのが始まり、と言われて居ます。

ベネティクト会の修道士ドン・ピエール・ペリニョン

シャンパーニュ地方の中流ブルジョア家庭で生まれ育った彼は、子供の頃から父親と叔父が所有するブドウ畑で収穫を手伝うなど、ワイン作りに親しんで育ちました。当時、次男、三男は修道院に入るか軍人になることが多く、7人も兄弟がいたドン・ピエール・ペリニョンは17歳で修道院に入ります。

ドン・ピエール・ペリニョンの「ドン」 とは、カトリック修道士の尊称で、苗字ではなく名前とセットで使われるもの。ドン・ピエール・ペリニョンは、ドン・ペリニヨンではなく、ドン・ピエールと呼ばれていました。

ドン・ピエール・ペリニョンの生涯についての詳細はあまりわかって居ません。また、スパークリング・ワインは16世紀から飲まれて居たという説もあり、彼がスパークリング・ワインの生みの親であるかどうかも、はっきりとはわかって居ません。モエ・エ・シャンドン社によるシャンパンのイメージアップ・宣伝のために有名になったと言う説もあります。

ドン・ピエール・ペリニョンの功績

しかし彼は47年にわたりオーヴィレール修道院の酒庫責任者を務め、よいブドウの育て方、肥料の与え方、剪定の仕方、季節ごとの手入れ、芽かきなどの詳細、収穫日、時間、選別方法など、ワイン生産に関わる様々なことを改善したという記録が残って居ます。また、アッサンブラージュ(ブドウのプレス前に異なる品種、栽培地区、収穫年のブドウを混ぜ合わせること)をはじめとした技術を高めて行ったのもドン・ピエール・ペリニョンで、現在に至るまでのシャンパーニュ地方のワイン・シャンパン作りに大きな影響を残しました。当時からオーヴィレール修道院のワインは非常に高品質で評価が高く、一時はシャンパーニュ地域の他のワインの5倍の価格で売れましたが、値段が高すぎることが問題になったということが記録に残って居ます。

オーヴィレール修道院のスパークリング・ワインが、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿で流行し始め、1691年には商業ベースでの販売が始まります。ヴェルサイユから修道院までの距離は約150キロ。当時の馬車で3日の距離です。この近さも、流行の理由の一つでしょう。

高級シャンパンと王侯貴族

ドン・ピエール・ペリニョンの死後、オーヴィレール修道院はモエ・エ・シャンドン社に買い取られ、本格的なシャンパン製造が始まりました。

ルイ15世の時代には、生産が軌道に乗り、王族や貴族たちに欠かせない飲み物になっていきます。ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人は「飲んで、なお女性を美しく見せてくれるのはシャンパンだけ」と言い、マリー・アントワネットはトリアノン宮殿で毎晩のようにシャンパンで貴族たちをもてなしたそう。「パイパー・エドシック」が1785年に献上され、その後マリー・アントワネットが好んだシャンパンとして知られる様になります。ちなみに1785年は、フランス革命の大きな転機となった首飾り事件が起こった年です。

高級シャンパンとナポレオン

1789年にフランス革命が起こり、王族貴族の多くは断頭台で処刑されましたが、シャンパンは生き残ります。今度は、時の権力者、ナポレオン・ポナバルトに愛され、彼は「戦いに勝った時は、人はシャンパンにふさわしく、戦いに負けた時、人はシャンパンを必要とする」と言う言葉を残しています。モエ・エ・シャンドン社の創始者でありエペルネ市長であったジャン=レミ・モエは、シャンパンを持ってナポレオンの軍隊に付いて回り、ナポレオンの勢力拡大とともにシャンパンもヨーロッパ中に広がりました。ちなみに、勝者にシャンパンをかけて祝う習慣はナポレオンが始めたものだと言われて居ます。

当時のシャンパンは、泡の立ち方が一定ではなかったため、泡が全くないもの、立ち過ぎて瓶が破裂するものなど様々で、丁度良い発泡加減のものに当たるのは10分の一程度の確率だったそうですが、そのギャンブル性が変化に富んだ時代の雰囲気に合って居たのかもしれません。

まとめ

ドン・ピエール・ペリニョンが所属したベネティクト会は、「服従」「清貧」「純潔」を戒律とするカトリック最古の修道会。修道士たちは、非常に厳格な祈りと労働の日々を送ります。労働を重視するベネティクト会の修道院では、ワイン、はちみつ、石鹸、ろうそく、オイル、ウール製品、農作物、加工食品などが作られてきました。オーヴィレール修道院のワイン生産もその一部でした。修道院の祈りと労働の成果として生まれたドン・ペリニヨンが、200年後にはホストクラブで水のように消費されるのか・・・と思いますが、考えてみると、シャンパンは時の権力者とともに発展して来たお酒です。享楽的な使われ方は今に始まったことではありません。時代や場所が変わっても、あの金色の美しい泡は、人々を虜にし続けるのでしょう。